風呂の起源として現在確認されているものでは、
紀元前4000年頃メソポタミアで、清めの沐浴のための浴室が作られ、
紀元前2000年頃には薪を使用した温水の浴室が神殿に作られていた。
同時にギリシアでは、現在のオリンピック精神の元となった「健全な精神は健全な肉体に宿る」との考えから、
紀元前4世紀頃のギリシャの都市には、スポーツ施設に併設して沐浴のための大規模な公衆浴場の水風呂が作られていた。
紀元前100年、ローマ帝国時代には、各植民都市に共同浴場が作られた。入浴様式は蒸し風呂の他に、広い浴槽に浸かる形式もあった。
217年につくられたローマのカラカラ大浴場は2000人以上が同時に入浴できたといわれている。古代ローマの入浴は、公営病院を持たなかったローマ人の感染予防施設としても使われた。
4世紀には更に大きなディオクレティアスの大浴場が作られ、単に風呂に入るだけでなくスポーツもでき、劇場や図書館もあって、周りに多くの飲食店が建てられていた。浴場は単なる風呂から一大文化センターへと変貌していった。
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イギリスのバース(Bath)にある旧ローマ帝国の風呂跡
bathの語源にもなった(イギリス・バースのローマ風呂博物館) |
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ローマ帝国の時代には豪華な公衆浴場と、湯を沸かす際の熱を利用した床暖房設備が発達し、地中海世界では現在の日本でも見られるような、社交場としての男女混浴の公衆浴場が大衆化し、社交場・娯楽施設として楽しまれていた。その一方で売春の温床にもなったことから、ハドリアヌス帝の頃に男女別浴になった。
一方、中央アジアでは、紀元前1世紀ごろから蒸し風呂があったと思われる。これは、高温に加熱した石に水をかけることで蒸気を発生させて入浴を行った。燃料などが少なくて済み手軽に使用できたため、冷水による入浴に適さない地域で広まった。中東ではこの蒸し風呂が公衆浴場となった。またロシアや北欧に伝わりサウナの原型ともなった。古代ローマ帝国全土に広まった公共浴場は、イスラムによる北アフリカの地中海沿岸地方・シリア地方征服後、イスラム圏で保持され、中東・イランでは現代に至るまで続いている。公共浴場は、モスク・市場と並んでイスラム都市の基本構成要素となった。
しかし、キリスト教の浸透にともに、厳格な信者からは裸で集うというローマ式の入浴スタイルは退廃的とされ、敬遠されて廃れていった。ローマ帝国の領土を受け継いだヨーロッパの地では、13世紀頃までは、辺境の地であっても入浴習慣が普及していたが、教会に行くための清めとして、大きめの木桶に温水を入れて身を簡単にすすぐ行水の様なものだった。都市には公衆浴場があり、住民は週に1・2度程度、温水浴や蒸し風呂を楽しんだといわれる。しかし、男女混浴であったため、みだらな行為や売春につながり、それにキリスト教の観念が加わり廃れていった。それに拍車をかけるように、14世紀にはペストの流行により、公衆浴場はもちろんのこと、入浴自体も「梅毒やペストなどの伝染病の温床」というイメージも入浴を衰退させる原因になった。結果、キリスト教徒の間では入浴は享楽の象徴とされ忌み嫌われ、風呂の習慣自体が忌避され、地中海やヨーロッパ各地で公衆浴場の閉鎖令が出され、終には中世末のヨーロッパから風呂が消え、シャワーが主流になっていった。
一方、アラブ世界は砂漠の燃料と水の供給の問題で、蒸気風呂で汗を流しマッサージや垢擦りをする後のトルコ風呂「ハマーム」となり、17世紀中頃のイスタンブールに約15000も存在し、演劇まで行われる社交場として利用された。これが北欧やロシアに伝わりサウナとなったといわれる。
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画家が描いたトルコ風呂 (ドミニク・アングル作)
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トルコ風呂の様子
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《ヨーロッパ・中世以降》
中世ヨーロッパ(特にフランス)では、水や湯を浴びると病気になると信じられてきた。ヴェルサイユ宮殿のバスタブは建設当初は使われていたが、その後はマリー・アントワネットが嫁ぐまで使われなかった。王侯貴族は入浴の代わりに頻繁にシャツを着替え、香水で体臭をごまかすようになり、これが南仏のグラースで香水産業を発展させるというおまけがついたが、産業革命により都市化が進むと同時に、パリなどの大都市部の公衆衛生の悪化の原因の一つとなり、病気にかかる人が多くなり、それを受けて、ヨーロッパでは医学の進歩に伴い、衛生という概念が生まれ、「入浴」はむしろ健康に良いと見なされるようになり、1875年にイギリスで「公衆衛生法」ができ、入浴が奨励されるようになった。また、伝統的に入浴の習慣を持っていたユダヤ人が、ペストや病気に中々感染しないのを見て、ヨーロッパに風呂が浸透するきっかけにもなり、徐々にバスタブによる入浴が行われるようになった。
更に19世紀にイギリスでシャワーが発明されると、以後は経費も時間もかからない、簡便で且つ清潔さを保つ風呂ということでヨーロッパだけでなくアメリカでもシャワー入浴法が発展していく。
コンパクトな浴室が定型として確立するのは1920年代のことで、ホーローびき鋳鉄製のバスタブが機械生産され、バスタブの大きさが浴室の大きさを決めるという方向に発展していく。現在は湯の出るシャワーと、湯で身体を洗う浅いバスタブ、湯の出る洗面所、そして水洗トイレが組み合わされた個室型の浴室が世界を制覇したのである。
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